理事長の部屋

ラーフ理事長
毛利 公一(もうりこういち)

昭和56年5月29日生まれ。

明るく前向き、そして負けず嫌いな性格です。
頚髄損傷で首から上が動くだけの身体ですが、持ち前の性格で人生突き進んでます!

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プロフィール

1997年4月観音寺第一高校普通科に入学
2000年4月早稲田大学人間科学部スポーツ科学科に入学
2004年4月アメリカ カリフォルニア州の語学学校に入学
2004年7月受傷
2005年3月早稲田大学卒業
2007年10月講演活動を始める。テーマ「よく生きる」
2008年3月NPO法人ラーフ設立
2009年4月地域活動支援センター「やまもも」設立
2010年12月香川頸髄損傷者連絡会 会長就任
2010年12月香川頸髄損傷者連絡会 会長就任
2011年12月支援センター「ウィズ」設立
2012年4月就労継続支援B型事業開始
障がい福祉サービス事業所やまももに名称変更
2013年3月社会福祉士、精神保健福祉士の国家試験合格
日本福祉大学卒業
2013年4月香川障害フォーラム 副代表就任
2013年5月全国脊髄損傷者連合会香川県支部 支部長就任
2014年7月人間力大賞準グランプリ、
全国知事会会長奨励賞、
衆議院議員議長奨励賞を受賞

棒高跳びの実績

観音寺中学96′ ジュニアオリンピック 5位
ベスト記録 4m20
観音寺第一高校 普通科97′ 京都インターハイ出場
98′ 香川インターハイ14位
99′ 岩手インターハイ3位、日本ジュニア選手権6位
岩手インターハイフィールド総合優勝、総合3位
ベスト記録 5m00
早稲田大学人間科学部
スポーツ科学科03′ 関東インカレ優勝
ベスト記録 5m10

受傷からの経緯

私は小学生の時に陸上競技を始めて、中学生の時に棒高跳びに出会いました。
12年の競技生活を経て、2004年4月、私は棒高跳びのコーチになる為の経験と語学の勉強の為、単身アメリカのカリフォルニア州に留学しました。
それから3ヶ月後の7月17日。語学学校の友人たちと初めてビーチに遊びに行った日、私は大きな波に打たれ、肩から下の動きと触覚、温感、冷感など全ての感覚を失いました。診断結果は、C3頸髄損傷(四肢完全麻痺)。当初私は、呼吸すらできない瞬きだけの身体でした。そして医師から告げられた言葉は「一生ベッド上の生活、呼吸機も外す事はできないでしょう。歩けるようになった人は世界中にもいません。」

私は絶望しませんでした。自分の人生をベッド上だと決められたことに憤りを感じ、「必ずもう一度立って歩く。世界初になる。」と強く誓いました。

まずは呼吸機を外すこと。機械に合わせて呼吸のイメージを重ねて必死に呼吸しようとしました。無理に外してみたりもしました。その度に窒息と呼吸困難。し かし、それを続けること半年、奇蹟的に身体が呼吸を始めました。それからも、四六時中呼吸の訓練。呼吸機を完全に外せたのは、それから1年後のことでした。

呼吸の訓練をしながら、感覚の訓練、手を手と感じること、足を足だと認識すること、座る訓練、手足を動かす訓練…特に座る訓練では、何度も気絶しました。しかし、どれも毎日続けました。

「もう一度立って歩くこと」諦めずに毎日続ける事で、ほんの少しずつ動きや感覚が返っています。そして今は3人に支えられながらではあるけれど、立って足を前に出す訓練をしています。

今は医学は日々進化しています。脊髄などの神経再生医療の研究も急速に進歩しています。今後、再生医療で脊髄神経は再生できるようになるはずです。そう期待しています。しかし、手術や治療で神経が繋がっても、手足の動かし方、座り方、歩き方を忘れてしまっていたら、神経が繋がっても意味がありません。
私と同じくもう一度何かをしてやろうと思っている方に、「希望を持って諦めずに努力を続けよう」と伝えたい。